やすやすとチェンマイ暮らし

...チェンマイに暮らす中で、日々の出来事や個人の想いを綴っています。

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新しい年に想う

新年早々、知り合いの日本人のお葬式がありました。10年にわたる闘病を生活を経て、死期を知っていたかのように、事前に周りの人に別れを告げていました。お通夜も火葬も、残されたタイ人遺族の方たちが、立派な式を執り行い、多くの参列者が来られていました。

その翌週には、タイ人連れ合いの親戚の結婚式があり、そこにも顔を出してきました。年末に亡くなった日本人の方に、父親のように世話になったということで、故人のために葬式中に頭を丸めて、短い間でしたが出家していたそうです。そのため、結婚式の新郎は丸坊主頭での挙式となりました。ここではステージを組み、歌謡ショーがあり、食事やお酒が振る舞われての華やかな挙式でした。

最近この歳になると、こんな風に冠婚葬祭に出席する度に、自分の立場に置きかえて考えることが多くなってきました。

大学を卒業し、仕事に就いた長男も、いずれは結婚するだろうし、その時には結婚式を挙げるわけで、父親もタイ語であいさつしなければならないのだろうか?などどふっと考えたりします。その前に、先方の両親に挨拶に行ったり、婚約とかはどうなるのだろう?とか想像してしまいます。うちの連れ合いが元気なうちは、彼女に任せておいて、私は言われるままに動けばいいので、まだ呑気なものです。

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ただ、自分が亡くなった後のことを考えた時、多分まだ数十年は生きられるでしょうが、元気なうちから終活などしておいた方がいいのかとも思います。日本を離れて長いので、遺族年金の手続きとかはないし、大きな遺産が残るわけでもないですが、タイ人遺族が困らなくてもいいように、あれこれ書き留めておこうと思うようになりました。日本語だけだと、私がいなくなった後、誰か他の日本人に世話にならないといけないので、できるだけタイ語でわかるように残せたらなと考えると、少しずつ時間をかけてまとめておいた方がいいのかと思います。エンディング・ノートみたいなやつですかね。

そんなこと言っているうちに、突然、別れの日が訪れるかもしれません。その日に備えて、普段から悔いのない日々を送らないと感じています。年齢から考えると、連れ合いより先に逝くことになるでしょうが、もし連れ合いに先に逝かれたりすると、タイでの葬式の準備や何やからで大変そうなので、やっぱり私の方が先に逝かせてもらいたいです。その頃には息子たちがしっかりしていてくれたらいいのですが、どうなんでしょう。

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ひょんなことからタイで暮らすようになって20数年になりますが、自分の息子が結婚を迎え、そしていつか訪れるタイでの終焉に備えて、元気なうちからできることをやっておこうと思うようになりました。人生も折り返しに入り、この頃は断捨離に励んでいます。これまでため込んだ、書類や通信、また使うことがあるのではないかと取っておいた品々ですが、再び目を通すこともなかったり、数年間使われていない物は、思い切って処分しています。まだ使えるものや誰か使っている人がいれば、その人に譲ったり、もうどうしようもないものは毎週ゴミとして出しています。

こんなことを書きましたが、決して死に急いでいるわけではなく、悩んでいるわけでもありません。自分や身近な人の「死」を不吉なこと、縁起でもないと目をそらし、考えないようにするこもできます。でも、いつかは誰にでも訪れる「死」に向き合うことが、今の「生」を前向きにとらえることができるのではと、気がついたら、いつの間にかそんなことを考える年齢になっていました。


もしタイで亡くなった場合、役所で「死亡登録証」を発行してもらいますが、そこには両親の名前が必要になります。すでに亡くなって何年も経っていても、記入する欄があります。戸籍謄本があればいいですが、いざという時のために、身近なタイ人に伝えておいた方がいいでしょう。
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