2015 タイの新年
毎年、ソンクラーンには連れ合いの実家へ帰省して過ごしていますが、一度、その期間中のことをまとめておきます。
だいたい4月12日か13日に帰省します。その日は何もなく、最近はカラオケの準備をしたり、まずは村の生活にペースを合わせるための順応の時間にあてています。
■ 4月14日 大晦日
午後から、「コン・サーイ」と言って、お寺の境内に砂を運び、「ジェディー・サーイ」砂の仏塔をつくります。
この砂の仏塔に、村人それぞれが旗をさします。
連れ合いの実家で買って来たのは、こんな旗です。干支のハンコが押されています。
夕方からは、「マイ・カム」という先が二股に分かれた木をお寺に奉納に行きます。
お寺までの道のり、村の人たちが踊りながら行進します。
村のお年寄りの姿も見られます。
大人に交じって踊っている女の子もいました。
踊りのBGM用に、車の荷台にノートPCとアンプをつないで大音響で音楽を流しながら伴走します。
■ 4月15日 元旦
午前中、お寺に村の人が集まって、お経をあげます。
その際に、村の人は車をお寺に乗り入れ、一緒にお祓いをし、儀式が終わった後、交通安全のお守りとして、白い木綿の糸を車のハンドルやギアに結びます。
1年に1度、このお正月にお寺の仏像を出し、村の人が水をかけます。
そして午後2時ごろから、「ダムフアプーヤイ」と言って、村中の年長者に新年のあいさつに回ります。この村は全体でも30軒足らずなので、今でも昔ながらの伝統で、ほとんどすべての家を回ります。
どこの家でもお酒とおつまみが振る舞われます。最初はいいのですが、後半になると酔っぱらって、お腹も一杯状態になります。
年長者から、新年のお祝いの言葉をもらって、次の家に移動します。
太鼓や小さなシンバルを持った酔っ払い楽団が、それぞれの家で盛り上げてくれます。
子どもたちは、そんな酔っ払いに水をかけて喜んでいます。
家によっていろいろな手作り料理やお菓子が出てくるのですが、こんな蝉の炒ったものがつまみもありました。
最後の方になると、服は水で濡れ、お腹は一杯、でもみんな歌って踊って、宴会状態が続きます。今年は、最初から最後の家まで全戸制覇したのですが、最後の家を終わったのは22時前でした。途中で子供たちが抜け、村の人も一人一人と離脱していきます。例年だと、私のちょうど真ん中にある連れ合いの実家で抜けることが多いのですが、今年は途中で気分が悪くなって吐くこともなく、初めて最後まで歩ききりました。
■ 4月16日
本来ならこの日は、村全体の新年の儀式があるのですが、今年は日が良くないということで、翌日に延期されました。
連れ合いの実家。
本来はこの16日に「ターレオ」と言われる日本の「しめ縄」なようなものを村人が自分たちでつくります。そして、新しい年には去年のとつけかけ、1年間入口の所に飾られます。
そして16日の夕方、また今年のように17日の朝にチェンマイに戻って来ます。
ソンクラーンの帰省、一度も欠かしたことがないように思います。これまでも何人か、日本人の知り合いを誘って遊びに来ているので、村の人から「今年は、誰も日本人の知り合いは来ないの?」かと聞かれました。
これまでのソンクラーンについて、ブログにまとめた年もあるので、リンクを貼っておきます。
2007年, 2008年, 2009年, 2010年, 2012年,
今年はスマホ用の防水ケース(45バーツ)を買ったので、結構、写真が残っている方です。
そして、チェンマイの自宅に戻るときは、山の土、稲わら、籾殻、ヌカをピックアップ車の荷台一杯に持って帰ってきました。今後、雨季に入るのに合わせて、市内の自宅の庭にいろいろ野菜などを植えるためです。
だいたい4月12日か13日に帰省します。その日は何もなく、最近はカラオケの準備をしたり、まずは村の生活にペースを合わせるための順応の時間にあてています。
■ 4月14日 大晦日
午後から、「コン・サーイ」と言って、お寺の境内に砂を運び、「ジェディー・サーイ」砂の仏塔をつくります。
この砂の仏塔に、村人それぞれが旗をさします。
連れ合いの実家で買って来たのは、こんな旗です。干支のハンコが押されています。
夕方からは、「マイ・カム」という先が二股に分かれた木をお寺に奉納に行きます。
お寺までの道のり、村の人たちが踊りながら行進します。
村のお年寄りの姿も見られます。
大人に交じって踊っている女の子もいました。
踊りのBGM用に、車の荷台にノートPCとアンプをつないで大音響で音楽を流しながら伴走します。
■ 4月15日 元旦
午前中、お寺に村の人が集まって、お経をあげます。
その際に、村の人は車をお寺に乗り入れ、一緒にお祓いをし、儀式が終わった後、交通安全のお守りとして、白い木綿の糸を車のハンドルやギアに結びます。
1年に1度、このお正月にお寺の仏像を出し、村の人が水をかけます。
そして午後2時ごろから、「ダムフアプーヤイ」と言って、村中の年長者に新年のあいさつに回ります。この村は全体でも30軒足らずなので、今でも昔ながらの伝統で、ほとんどすべての家を回ります。
どこの家でもお酒とおつまみが振る舞われます。最初はいいのですが、後半になると酔っぱらって、お腹も一杯状態になります。
年長者から、新年のお祝いの言葉をもらって、次の家に移動します。
太鼓や小さなシンバルを持った酔っ払い楽団が、それぞれの家で盛り上げてくれます。
子どもたちは、そんな酔っ払いに水をかけて喜んでいます。
家によっていろいろな手作り料理やお菓子が出てくるのですが、こんな蝉の炒ったものがつまみもありました。
最後の方になると、服は水で濡れ、お腹は一杯、でもみんな歌って踊って、宴会状態が続きます。今年は、最初から最後の家まで全戸制覇したのですが、最後の家を終わったのは22時前でした。途中で子供たちが抜け、村の人も一人一人と離脱していきます。例年だと、私のちょうど真ん中にある連れ合いの実家で抜けることが多いのですが、今年は途中で気分が悪くなって吐くこともなく、初めて最後まで歩ききりました。
■ 4月16日
本来ならこの日は、村全体の新年の儀式があるのですが、今年は日が良くないということで、翌日に延期されました。
連れ合いの実家。
本来はこの16日に「ターレオ」と言われる日本の「しめ縄」なようなものを村人が自分たちでつくります。そして、新しい年には去年のとつけかけ、1年間入口の所に飾られます。
そして16日の夕方、また今年のように17日の朝にチェンマイに戻って来ます。
ソンクラーンの帰省、一度も欠かしたことがないように思います。これまでも何人か、日本人の知り合いを誘って遊びに来ているので、村の人から「今年は、誰も日本人の知り合いは来ないの?」かと聞かれました。
これまでのソンクラーンについて、ブログにまとめた年もあるので、リンクを貼っておきます。
2007年, 2008年, 2009年, 2010年, 2012年,
今年はスマホ用の防水ケース(45バーツ)を買ったので、結構、写真が残っている方です。
そして、チェンマイの自宅に戻るときは、山の土、稲わら、籾殻、ヌカをピックアップ車の荷台一杯に持って帰ってきました。今後、雨季に入るのに合わせて、市内の自宅の庭にいろいろ野菜などを植えるためです。
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