やすやすとチェンマイ暮らし

...チェンマイに暮らす中で、日々の出来事や個人の想いを綴っています。

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追悼 谷口先生

その電話をもらったのは、12月31日の大晦日でした。
車を運転している時だったので路肩に車を停め、
ラフ族の知人からの言葉に、思わず声を上げてしまいました。
本当に急な知らせに、まさかという想いでした。

谷口先生のことは初めてタイに来た頃から知っており、
チェンラーイの農場に訪ねたのが最初の出会いです。
その後、パヤオ県チュン郡の21世紀農場に移ってからも
何度か訪ねたことがあります。
しかし、長い間、年に1回、領事館主催の新年会で、
ご挨拶を交わすぐらいになっていました。

それが昔の縁がきっかけで、一昨年、去年と農場を訪ね、
泊めてもらい、夜遅くまでお話を聞きました。
その際に渡した私の名刺を目にされて、
日本語の資料をタイ語に訳して欲しいと依頼を受け、
少しですが翻訳のお手伝いをしたのは、去年のことです。
私、谷口巳三郎は「20万本の木を植えた男」と言えるでしょうか?
という短い文章ですが、私が拙いタイ語に翻訳し、
手紙と一緒に先生に郵送したのが11月23日のことです。
無事に届いているだろうかと気にはなっていたのですが、
めっきり耳の遠くなった先生に電話するのを遠慮していました。
先生は翻訳文を受け取られて、目を通されたのか、
念のために電話で確認すれば良かったと、今は悔やんでいます。
依頼を受けてから忙しくて1ヶ月以上預かったままでしたが、
先生が元気なうちに翻訳を終える事ができてよかったです。

昔、タイ国内の個人ボランティアのネットワークに属していました。
1989年に結成され、2001年に10年史が編成されています。
3ヶ月毎に開かれる集いでは、日本人やタイ人を講師に招き、
ボランティアやNGOの活動について話を聞いていましたが、
ネットワーク自体は2008年8月に解散しています。

第18回目、1994年3月には、谷口21世紀農場で集いが持たれ、
講師として谷口先生にお話をしてもらいました。
その講演をテープおこしをし、まとめた文章が
タクライのニュースレター18号に残っています。
また講演録の一部が10年史に抜粋され掲載されています。

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私は1983年、それまで勤めた熊本県の農業教育機関の職員を定年で終え来タイした。公務員でありながら私はずっと体制に反発し、社会や職場に順応して上の意思に迎合し、上司に贈り物をしておもねるような人達に対し、いつも声高に反対を唱えていた。しかし、そういった人達が社会ではいわゆる本流を歩いており、私はいずれどちらが本物か身をもって証明してやるという気持ちがあった。私の今のエネルギーはそういうことに対する鬱憤、社会に対する怒りより発している。人間は何故嘘をつくのか、何故裏表があるのか。私も全く嘘がなく正義だけではやっていけないことは分かっている。だからそれを最小限にしていきたいと思っている。今年70才で体力的にも100%自信はなくなったが、這いつくばってでも、目的は死ぬまでやるんだという気概だけはある。

タクライ・ニュースレター №18(1994年3月)より
谷口巳三郎先生談
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まだ財団登録される前、18年前の先生の想いを読み返してみると、
やはり当時からの意気込みというのか、確固たる信念を感じます。
70才にしてこの想い、私が70才、88才になった時に、
どんな生活を送っているのか、想像さえつきません。

当日の告別式には、日本から支援者の方も来られ、
二人で前日からチェンラーイに泊まり、翌朝農場へ向かいました。
先生はクリスチャンだったので、午前中がキリスト教式で、
午後からは地元の関係者も参加し仏式で執り行われました。

先生の指導や支援を受けたお弟子さん達が一同に集まりました。
自分が先生の初めての弟子だというウィチャイ校長が挨拶をし、
お弟子さん達が全員集まって写真を撮影しました。

20120105_113346.jpg

チェンラーイで若竹寮を運営するヨハンさんのお兄さん、
アカ族の牧師さんがお話をされていました。
肉体は滅びても、先生の意志(魂)は、永遠に生き続けると。

20120105_105531.jpg

在チェンマイ日本総領事館から駆けつけた柴田総領事も
新年会で初めて会った時のエピソードを交えて、
先生の活動にも触れ、タイ語でお別れの挨拶をされました。

僧侶による読経が終わると、棺の蓋が開けられ、
先生の遺体に最後のお別れをしました。

20120105_135753.jpg

その後、点火され農場内のその場で荼毘にふされました。
参列者の多くは、燃え上がる炎を確認すると、
遠方からの参列者が多いのか、帰途につきました。
私と日本から来られた支援者の方は、
しばらく燃えさかる火を見つめながら、
これまでの先生との思い出を巡らせていました。

20120105_144731.jpg

日程の都合で、お骨拾いには立ち会えませんでしたが、
チェンマイへ戻る途中、チュン郡の町に寄っていきました。
何度か先生と一緒に来た食堂で、コーヒーを飲むためです。
以前、その店頭で農場の農産物を販売していたこともあります。
店のおばさんは、昨夜、農場へ焼香に行ってきたと告げ、
少し寂しそうな声で「これからは、もう来ることはないわね。」
と独り言のようにつぶやいていました。

タイに生きる先生の教え子の方々が、
校長として、寮の運営者として、研修農場の主として、
先生の意志を引き継ぎ、活躍すること願っています。

今まで本当にお疲れ様でした。心よりご冥福をお祈りします。
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