今年も農場を訪ねて、お墓参りをすることができました。
1年に1回ですが、ここ数年間、続けています。
谷口先生が亡くなってもう
4年が経ちました。今も先生が残した財団と農場は受け継がれています。車で農場へ向かう途中の道路沿いには、今も先生が率先して植林した木が残っています。
遺骨が納められた農場内のお墓は、火葬された場所でもあります。今年は赤い傘とお供え物がありました。農場を引き継ぎ運営している「パンさん」の話だと、近所の人がお供えしたものですが、そこにはこんな経緯があったそうです。
農場の横には役所があるのですが、そこの人が農場の敷地内で井戸を掘ったそうです。業者を呼んで、2回も掘削したのですが、どうしても水脈に当たりません。そこで、誰かが「谷口先生にお願いしてないからだろう。」ということを言い出し、みんなで墓前にお願いしたそうです。その際、「もし水脈に当たって無事に井戸が掘れたら、赤い傘とお供えをしますので、どうぞお願いします。」とお祈りしたそうです。その後、すぐに井戸を掘ることができたので、お礼にお供え物をしたとのことでした。亡くなられた谷口先生は、今もどこかで農場の行く末を見守っているのでしょう。
お墓の奥には、先生が亡くなる直前まで暮されていた家が、当時のままで残されています。本棚には、そのまま本が残されていて、冷蔵庫やクーラーもそのままにしてあります。
この墓の横に墓標を建てる話が進んでいるそうです。すでに墓石は見つかったそうで、先生の写真をつけ、言葉を刻み込むのですが、現在、制作中だということでした。
雨も降り出し、この時期、農場では日本の「サトイモ」の栽培が忙しくなっていました。
バンコクに送られるサトイモですが、植え付け時期をずらして、継続的に収穫できるように、よく管理されていました。最近では、チェンマイにも少し出すようになったそうです。年間何トンだったか、聞いたのですが忘れてしまいました。
谷口先生は、いろいろなものを残されました。植林した木、品種改良したコメの籾、農場の広い土地、でも、一番大きなものは、「パンさん」のような人材ではないでしょうか。
長靴を履いて、作業着のまま、パンさんは農場で採れたマンゴーで出迎えてくれ、農場の近況や日本の大学との交流の話をしてくれました。それは、真面目で堅実な彼の人柄を感じさせてくれる一時でした。来年は、新しい墓標に手を合わせることができるでしょう。