やすやすとチェンマイ暮らし

...チェンマイに暮らす中で、日々の出来事や個人の想いを綴っています。

2011年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2012年02月

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ツーリストビザの更新

このところ、真面目に仕事をしていたもので、
ブログは更新もせず放置したままになっていました。
ツイッターの方は、気が向けばボソボソ呟いており、
それがFacebookにも投稿されるという、この頃です。

さて、仕事が一段落し、今朝はイミグレへ行ってきました。
知人の方のツーリストビザを30日更新する手続きです。
まだまだ朝が寒いのですが、家を7時頃出発し、
イミグレの前に着くと外にノートが置いてあったので、
さっそく時間と名前、手続き内容を書き込みました。
7時8分で、すでに45番目だったので驚いてノートをチェックすると、
ビルマ人の人が10人以上、同じ筆跡で名前が並んでいました。
それより驚いたのは、1番の人が4:02と時間を書いていたことです。
結局、この10人以上のビルマの人達は、別棟での手続きでした。

8時過ぎに建物のドアが開き、職員がノートの順番に従って読み上げ、
機械の整理券を発券するというのは、いつもの通りです。
自分の番でもない人が早くから機械の前に並ぶものだから、
邪魔で仕方がないのですが、建物の広さや配置の問題でもあります。
今日は、発券機の紙がなくなったのか壊れたのか、
途中から職員がメモ用紙に手書きで番号を書き込んでいました。

6と7番の整理券をもらい、8時40分ぐらいから手続きが始まりました。
今日は早いだろうと安心していたら、3番から一向に進みません。
朝から待っている時に見なかった人が先に書類を出していましたが、
まあ、オンラインで予約した人かもしれないとひたすら待ちました。

結局、書類を提出し、パスポートを受け取ってみれば、
すでに9時半を回っていました。
そう言えば、申請用紙に電話番号を書くようになったんですね。
2時間も時間をかけるなら、遅く来ても同じかもしれませんが、
朝が早いと確実にイミグレの駐車場に車を止めることができます。
最近は、順番取りというか代行屋みたいな人がいるという話で、
気をつけて観察しましたが、それらしき人は見あたりませんでした。

前回の自分の更新の時にカウンターで寸法を測っていた人は、
正面に電光掲示版を取り付けたようです。
英語やタイ語で、手続きの情報を流していました。
ちょうど90日間の住所届出についての案内で、
90日になる日から15日前、7日後の期間に届出が可能で、
それを超えると2,000バーツの罰金となっていました。

イミグレへ行くたびにどこかが変更になっていて、
昔から通っている者には、便利になってきたとは思うのですが、
初めて来たツーリストには、不便に感じる点も多いでしょうね。
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小雨の中

今の時期、雨が降ることなどないのですが、
朝からイミグレへ行こうと決めたこの日に限って、
合羽を着てバイクを運転する羽目になってしまいました。
自宅周辺の小雨が止んだのを確認して家を出たら、
途中から結構強い雨が降り出しました。
合羽と言ってもポンチョなので、足下と手首は濡れます。

雨の中、少し濡れながら、イミグレに到着したのが9時40分頃。
さっそくもらった整理番号は561番、この時点で掲示板は540番。
なぜかそれからしばらく540番で止まったままでした。

建物内の座席はいくつか空いていたので、
まだ申請に訪れている人は少ない方だったのかもしれません。
日本人のロングステイらしき方々を何組か見かけました。

90日間の住所届出に行っただけなのに、
結局、終わったのは10時35分で、ほとんど1時間待ちです。
終わる頃には雨が止んでいたので、それだけが救いです。

今日、窓口の係官に確認をしたら、
90日目になる15日前から届出が可能だということです。
ただし、次回は届出た日から数えて90日間という計算になります。
係官はカウンターの中にある表を見ながら、
日付のスタンプを調整して押していました。。
今日は受付の係官は1人だけ、実習生が2名座っていましたが、
もう1人の係官は、ビルマ人専用で、別棟で受付ているそうです。

約1時間で20人ということは、1人に3分という計算になりますが、
そもそもどうして20人も順番待ちが溜まってしまったのでしょう。
ビルマ人の届出を分けたのは正解ですが、
もう少し早く処理できる方法はないものでしょうか。

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| 手続き関連 | 21:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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無料の無線LAN

昨年12月、情報通信技術省(ICT)より発表された
『ICT Free Wi-Fi プロジェクト』。
タイ国民が手軽にインターネットを楽しめるようにと、
新年の政府から国民へのプレゼントとして立ち上げられました。
公共施設や政府施設など、例えば空港や公園などを中心に、
国内14県で無料の無線LAN(2Mb)が利用できる地点を
20,000ヶ所設置というのが概要です。

チェンマイ県内では、最終的にはFree Wi-Fiのエリアを
200ヶ所設ける予定ですが、TOTの発表によると
現在までに70ヶ所が使用可能になったそうです。
市内だと、バスターミナル、駅、空港、教育施設、県庁など。
またサンサーイ郡、ドーイサケット郡、メーリム郡、メーテーン郡、
サラピー郡、サンパートーン郡、ファーン郡の中心地でも
使えるようになっているそうです。
今年中には200ヶ所すべてを整備し、
利用可能にできると見込んでいます。

このICTの無線ランを利用するためには、
まずUsernameとPasswordを登録してはじめて、
電波が受信できるエリアでの接続が可能になります。
一つのUsernameで、30時間、30日以内での利用ができ、
登録日から30日が過ぎたら、それ以降も利用したい場合は、
改めて登録を行う必要があるそうです。

一つのUsernameにつきということは、
複数のUsernameを登録することができるのでしょうか。
それを防止するために、何か対策が取られているのでしょうか。
このプロジェクトはあくまでもタイ人が対象で、
外国人も利用できるのでしょうか。
いろいろ不明な点も残りますが、
一度どこかで試してみるのが、手っ取り早そうですね。
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| 役立つかな | 21:46 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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追悼 谷口先生

その電話をもらったのは、12月31日の大晦日でした。
車を運転している時だったので路肩に車を停め、
ラフ族の知人からの言葉に、思わず声を上げてしまいました。
本当に急な知らせに、まさかという想いでした。

谷口先生のことは初めてタイに来た頃から知っており、
チェンラーイの農場に訪ねたのが最初の出会いです。
その後、パヤオ県チュン郡の21世紀農場に移ってからも
何度か訪ねたことがあります。
しかし、長い間、年に1回、領事館主催の新年会で、
ご挨拶を交わすぐらいになっていました。

それが昔の縁がきっかけで、一昨年、去年と農場を訪ね、
泊めてもらい、夜遅くまでお話を聞きました。
その際に渡した私の名刺を目にされて、
日本語の資料をタイ語に訳して欲しいと依頼を受け、
少しですが翻訳のお手伝いをしたのは、去年のことです。
私、谷口巳三郎は「20万本の木を植えた男」と言えるでしょうか?
という短い文章ですが、私が拙いタイ語に翻訳し、
手紙と一緒に先生に郵送したのが11月23日のことです。
無事に届いているだろうかと気にはなっていたのですが、
めっきり耳の遠くなった先生に電話するのを遠慮していました。
先生は翻訳文を受け取られて、目を通されたのか、
念のために電話で確認すれば良かったと、今は悔やんでいます。
依頼を受けてから忙しくて1ヶ月以上預かったままでしたが、
先生が元気なうちに翻訳を終える事ができてよかったです。

昔、タイ国内の個人ボランティアのネットワークに属していました。
1989年に結成され、2001年に10年史が編成されています。
3ヶ月毎に開かれる集いでは、日本人やタイ人を講師に招き、
ボランティアやNGOの活動について話を聞いていましたが、
ネットワーク自体は2008年8月に解散しています。

第18回目、1994年3月には、谷口21世紀農場で集いが持たれ、
講師として谷口先生にお話をしてもらいました。
その講演をテープおこしをし、まとめた文章が
タクライのニュースレター18号に残っています。
また講演録の一部が10年史に抜粋され掲載されています。

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私は1983年、それまで勤めた熊本県の農業教育機関の職員を定年で終え来タイした。公務員でありながら私はずっと体制に反発し、社会や職場に順応して上の意思に迎合し、上司に贈り物をしておもねるような人達に対し、いつも声高に反対を唱えていた。しかし、そういった人達が社会ではいわゆる本流を歩いており、私はいずれどちらが本物か身をもって証明してやるという気持ちがあった。私の今のエネルギーはそういうことに対する鬱憤、社会に対する怒りより発している。人間は何故嘘をつくのか、何故裏表があるのか。私も全く嘘がなく正義だけではやっていけないことは分かっている。だからそれを最小限にしていきたいと思っている。今年70才で体力的にも100%自信はなくなったが、這いつくばってでも、目的は死ぬまでやるんだという気概だけはある。

タクライ・ニュースレター №18(1994年3月)より
谷口巳三郎先生談
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まだ財団登録される前、18年前の先生の想いを読み返してみると、
やはり当時からの意気込みというのか、確固たる信念を感じます。
70才にしてこの想い、私が70才、88才になった時に、
どんな生活を送っているのか、想像さえつきません。

当日の告別式には、日本から支援者の方も来られ、
二人で前日からチェンラーイに泊まり、翌朝農場へ向かいました。
先生はクリスチャンだったので、午前中がキリスト教式で、
午後からは地元の関係者も参加し仏式で執り行われました。

先生の指導や支援を受けたお弟子さん達が一同に集まりました。
自分が先生の初めての弟子だというウィチャイ校長が挨拶をし、
お弟子さん達が全員集まって写真を撮影しました。

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チェンラーイで若竹寮を運営するヨハンさんのお兄さん、
アカ族の牧師さんがお話をされていました。
肉体は滅びても、先生の意志(魂)は、永遠に生き続けると。

20120105_105531.jpg

在チェンマイ日本総領事館から駆けつけた柴田総領事も
新年会で初めて会った時のエピソードを交えて、
先生の活動にも触れ、タイ語でお別れの挨拶をされました。

僧侶による読経が終わると、棺の蓋が開けられ、
先生の遺体に最後のお別れをしました。

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その後、点火され農場内のその場で荼毘にふされました。
参列者の多くは、燃え上がる炎を確認すると、
遠方からの参列者が多いのか、帰途につきました。
私と日本から来られた支援者の方は、
しばらく燃えさかる火を見つめながら、
これまでの先生との思い出を巡らせていました。

20120105_144731.jpg

日程の都合で、お骨拾いには立ち会えませんでしたが、
チェンマイへ戻る途中、チュン郡の町に寄っていきました。
何度か先生と一緒に来た食堂で、コーヒーを飲むためです。
以前、その店頭で農場の農産物を販売していたこともあります。
店のおばさんは、昨夜、農場へ焼香に行ってきたと告げ、
少し寂しそうな声で「これからは、もう来ることはないわね。」
と独り言のようにつぶやいていました。

タイに生きる先生の教え子の方々が、
校長として、寮の運営者として、研修農場の主として、
先生の意志を引き継ぎ、活躍すること願っています。

今まで本当にお疲れ様でした。心よりご冥福をお祈りします。
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| これもボランティア | 17:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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2012 辰年

2012年、明けましておめでとうございます。
と言っても、もう1月も9日ですね。早いものです。
例年と同じようにあっさりと新年を迎えました。

元旦の1日には初詣にとお寺を2ヶ所巡り、
3日には市内の3ヶ所のお寺へ参拝に行きました。
私が自発的にお参りに行ったというよりは、
タイ人の連れ合いに急かされて、
仕方なく運転手を務めたという感じです。
それでもいざお寺に着いたら、一心にお祈りをします。
賽銭も入れ、少しだけ徳を積んできました。

タイ人の人達も新年からたくさんお参りに来ていました。

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自分で紐にひっかけ、こんな感じで寄付をします。

CIMG1299.jpg

金曜日生まれなので、しっかりお祈りをしてきました。
市内のワット・プラシンが今年の辰年のお寺と聞き、
それはそれはと人混みをかき分け、お参りしてきました。

CIMG1305.jpg

元旦に行ったランプーンのお寺では、
名物のチャオクワエに行列ができていました。
私も本堂にお参りする前に、まずは味見をしました。

CIMG1280.jpg

何はともあれ、家族全員、元気に新しい年を迎えられ、
いつも感謝の気持ちを忘れずにいたいと思います。

最近はツイッターやフェイスブックばかりで、
ブログの更新を怠っていますが、今年もよろしくお願いします。

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