やすやすとチェンマイ暮らし

...チェンマイに暮らす中で、日々の出来事や個人の想いを綴っています。

2008年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2008年06月

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なんとか親父

今日が長男の誕生日でしたが、
先日、前祝いとしてみんなでムーカタを食べに行ったので、
それでもう済んだつもりでいたのですが。

通訳の仕事の延長でお客さんと夕食をご一緒することになりました。
念のために、家にその旨の電話を入れると、
「今日が上の子の誕生日でしょう。家族だけで外食に行かないの。」
と連れ合いに言われ、ちょっとへっこんでいました。
通訳の仕事はお付き合いも大事で、「今日は子供の誕生日なので、
これで失礼します。」とは、なかなか言い出せません。

夜の8時半過ぎにお客さんをホテルにお送りし、
そこから誕生日ケーキを探しに行きましたが、
9時前で閉店前のお店に滑り込みセーフでした。
結局、一番小さなケーキを買ったら、
意外にも何かメッセージを書きましょうかと聞かれたので、
息子の名前を書いてもらいました。

P1040931.jpg

実物は写真よりもかなり小さいです。

特に誕生日プレゼントはなかったので、
そのお店で「歌本」とPCの雑誌を買って、お茶を濁しておきました。
心ばかりの小さなケーキを、とりあえず連れ合いに渡し、
その間にシャワーを浴びて戻ってみると、
すでに恒例のハッピーバースデー!は終わり、
いつの間にかケーキは切り分けられていました。
夕食に間に合わなかった親父も悪いけど、仕事の続きなんだし、
シャワーが終わるぐらい待っていてくれよな~、
と心の中で思いながらも、あえて口にはしませんでした。

今年も何とか親父の役目を果たしました。
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| 家族のこと | 20:04 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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空の広さ

チェンマイ大学の中央グランドでサッカーの試合がありました。
日本人チームの元キャプテンの送別試合です。
私は、すっかり歳をとり、サッカーの試合中に怪我をしてから、
しばらくコートには立っていないので、この日も応援に行きました。

我がチームは、1試合目は引き分け、2試合目は負けてしまいました。
大きな芝生のグランドと厳しい日差しの中で、
体力的にもかなり大変だったと思います。
見ていると自分もやりたくなるんですが、
試合に出て、翌日または翌々日にでも筋肉痛になると、
「あ~、やめときゃよかった。」と後悔してしまいます。
結局、応援だけでとめておきました。

そこのグランドの観客席に座ると、コートはもちろんのこと、
背にはドーイステープの山々を望むことができます。
そこから見えた青空の広さに、何か少し感動してしまいました。
家の近所やチェンマイ市内で見るよりも広く感じて、
緑の芝生とも対照的で、すごく青色が際立っていました。

広い空を見ていると、若かった頃を思い出し、
ふらっとあてのない旅に出たくなります。
でも、仕事が、家族が、用事が、うーん、しばらくは無理ですね。
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| チェンマイって | 20:39 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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誕生日の前祝い

早いもので、上の息子も今月で12才になります。
誕生日と言えば、これまでは自宅で近所の子を呼んで、
こぢんまりとやっていましたが、
今年は、学校の友人を呼びたいと言い出しました。
中学生ぐらいになると、誕生日に呼ばれて
少し離れた友人の家に行くこともあります。
そのお返しに招待したいので、
まだ誕生日は来ていないけど、土曜日にしてほしい
とせがまれました。それも前日にです。

学校の友人と言っても、親しい子だけなので、
3人だけだと聞いて、外に食べに行くことにしました。
食べ盛りの年頃なので、ムーカタ(韓国風焼き肉バイキング)の
店へ家族と長男の友人を連れて出かけました。
その店に行くのは、何ヶ月ぶりでしたが、
食材は100種類ぐらいあり、正面にステージがあり、
歌謡ショーやコントもやっています。
様々な肉だけではなく、エビや料理、果物、ケーキ、
アイスクリーム、何でも揃っています。
みんなお腹一杯食べて、たまたまバンコクから来ていた
お笑いグループのステージを楽しむことができました。
下品な言葉使いや下ネタが多いのですが、
まあ、言葉がわからなくてもそれなりに笑えました。

結局、息子の友人3人は泊まっていくことになり、
隣の部屋で夜遅きまで話し込んでいたようです。
そういう年頃になってきたんですね。
兄のグループに入れてもらえなかった弟が、
少しひねくれて、寂しそうに見えました。
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| 家族のこと | 20:07 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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すごい自転車

パヤオの村でホームステイした際に、
村の人が使っている自転車を借りて、雑貨屋に行きました。
年代物の自転車でつくりも極めてシンプルです。
ペダルは足を乗せる部分がなく、芯の部分だけです。
何と言っても前後のブレーキがないのには驚きました。
壊れているのではなく、全くついていないのです。

052108133056.jpg

これが唯一のブレーキです。
サンダルのゴムの底部分を取り付けてあるのですが、
これを足で踏み込んでブレーキをかけます。
実際に使ってみましたが、タイヤに足が巻き込まれないよう
なかなか操作が難しいです。
村の中ではゆっくりしか走らないので、
この特製ブレーキでも大丈夫なのでしょう。
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| 日常の風景 | 21:59 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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パヤオ県

通訳の仕事で出かけたのは、チェンマイ県のお隣のパヤオ県。
受入団体のスタッフからパヤオ県の概要について説明がありました。
チェンマイやチェンラーイなどの観光都市に比べ、
パヤオ湖や有名なお寺があるものの、内陸にあるため、
観光客が少なく、大部分の県民は農業に従事しています。
ただ、農業用の灌漑システムが整備されていないので、
雨季に降る雨水に頼った農業がほとんどです。
ランパーン県には窯業という産業があり、
ランプーン県には北部工業団地がありますが、
パヤオ県には主立った産業がなく、そのため、出稼ぎが多いそうです。
近隣のチェンマイやチェンラーイを始め、バンコクなどの大都市、
または、日本やシンガポール、韓国などの海外へも出かけています。
男性は建設労働や工場労働者が多く、
女性は性産業につくケースも多いそうです。
現在、日本へ入国するのが難しくなっているので、減少していますが、
過去には、パヤオ県から日本へ出稼ぎに行く女性もたくさんいました。
今でも日本人男性と結婚して建てられた大きな家が見受けられます。
また、男性も女性も出稼ぎ先でHIVに感染し、地元で家庭内感染、
そして出産時に母子感染というケースも多かったようです。
タイでHIV感染者、エイズ患者の資料を記録しだして約20年ですが、
何年もの間、北部タイにおいてはパヤオ県が
人口に対する感染者数で1位を続けてきたそうです。
最近では、両親をエイズで亡くしたエイズ孤児の問題が深刻です。

パヤオ県民、1家族当たりの年間平均収入が
3万バーツという統計があるそうです。
都市部と農村部ではかなりの差があるのでしょうが、
平均するとこういった数字が出てくるのでしょう。
農村部の人は自家消費用の米や野菜を栽培しているので、
出費を抑えることができるとの説明でしたが、
農産物を売るだけでは、毎月の安定した収入もなければ、
農産品価格の変動により、簡単に経済的な影響を受けてしまいます。
それによって、他所への出稼ぎにつながっていくのでしょう。
政府が定めるパヤオ県の1日の最低賃金は147バーツ、
農作業などの日雇いでは、それさえも守られないケースがあります。
コンビニやファーストフードの時給は、確か25バーツぐらいでしょうか。

ホームステイ先の家は、エイズで両親を亡くし、
祖父母が孫を育てている家庭などでした。
日本人の人たちは、家の中のテレビや冷蔵庫、
オーディオコンポなどの電化製品を見つけて、
思ったほど貧しくはないじゃないかと感想を漏らしていました。
表面的にはそうでも、借金があったり、反対に蓄えがなかったり、
何か現金が必要になると、お金を工面するのが大変です。
農産物が売れてまとまったお金が入った時に、
それらの電化製品を購入するようです。
そう考えると、決して経済的、物質的に豊かな訳ではありません。

村の中を歩けば、知らない人もあいさつをしてきます。
どこへ行くんだ、もうご飯を食べたのか、
うちで食べていくかと声がかかります。
近所の子供たちが集まってきて、人の家に上がり込んでいます。
広場では子供たちだけで、追いかけっこをしたり、
自転車を乗り回して遊んでいます。
日本は、怖くて公園で子供だけで遊ばせられなくなったと聞きます。
単純には比較できませんが、タイの農村やコミュニティーに接すると、
そのつながりや助け合いを目にして、
何が本当に豊かなのかを考えさせられます。
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| 役立つかな | 20:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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バイオガス施設

久しぶりに泊まりがけで通訳に出かけてきました。
2泊3日、村でのホームステイでした。
そして、地域の小学校でバイオガス施設の建設を
手伝うというプログラムでした。

そのコミュニティーには、エイズの影響を受け、孤児になった子供や
地域の子供を対象として活動を行っている小さなセンターがあります。
そのセンターに出入りしている子供たちの家にホームステイをし、
彼らが通う学校でワークをしました。
このコミュニティーへ行くのは、これで3回目ぐらいでしょうか。
顔見知りのスタッフ、村人、子供たちもいて、慣れたものです。

2日目のバイオガス施設の建設を手伝うワークですが、
ほとんど土木作業が中心になります。
ある程度、受入団体のスタッフが作業を進めてくれてあったのですが、
ペンキを塗ったり、セメントを運んだり、土を整地したりと、
炎天下の中、なかなかハードなワークとなりました。
通訳は見ているだけでもいいのですが、
クワを見ると昔を思い出してどうしても張り切ってしまいます。
最近、体を動かしていないので、思うように体が動きません。
翌日には何とか形になり、牛糞を投入し、
そして学校への贈呈式を行いました。
作業をした翌朝、うん、少し足と腰が重いかなと感じ、
手のひらは、クワを握っていたので、マメのように固くなっています。
年をとると、すぐには筋肉痛の症状が出ず、
これから少しずつ体がこわばってくるのでしょう。

一応、バイオガス施設は完成し、ホームステイも無事に終了、
怪我や病気もなく、楽しく交流会も終えることができました。
宿泊を伴うと疲れるのも事実ですが、
数日間、日本の人と過ごす中でいろいろな話ができて楽しいです。
次回は、また8月にこの村へ行くことになるかもしれません。
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| 通訳とか翻訳 | 20:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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こだわりと頑固

年齢を重ねる毎に融通がきかなくなるというのか、
悪く言えば、偏屈になっていくような気がします。
人によって違うのでしょうが、最近、自分を見ながら
そんなことを感じるようになってきました。

何事にもこだわりを持ち、信条を持って、
それだけはどうしても譲れないという気持ちを
忘れずにいたいと思ってきました。
当然、その基準、自分の物差しがぶれないことが大切です。
ただ、社会も自分の周辺も常に変化しいています。
自分にとっては当然と受けとめられることが、
どうもそうではなくなってきたのかなと、感じる時があります。
「そのやり方は、おかしいんじゃない。」
「その対応って、あまりにも失礼じゃないか。」
そんな風に自分は感じることがあっても、
いつの間にか、「それが当たり前」、「まだ良い方だよ!」
と言われることがあります。

自分たちが若かった頃、先輩や年配の人に向かって、
自分たちの考え方ややり方を主張して、
それは偏見だ、古い考え方だと言っていましたが、
この年になると若い人とたちの考えや行動の中で、
理解できない、なんでそうなるの、という場面が多くなってきました。
時代が変わってきているのだから、
それに合わせて自分も変わっていかなければならないのか、
それとも、真理はいつの時代も同じものであり、
あえて自分を押さえてまで時代に迎合する必要はないのか?
あれこれ考えを巡らせるることはあっても、
やはり最後は自分の考えや経験を通して判断するしかありません。

頑固なことが決して悪いことだとは思いません。
しかし、他人の意見にも耳を傾ける必要はあります。
と言って、人の意見に左右され、顔色を窺っているようでもダメです。
そうすると協調性がないと言われ、こだわりすぎだと言われます。

何だか抽象的な話になってしまいましたが、
要は残りの人生をいかに生きるか。何を最も大切にしていくのか。
その辺をもっとよく考えないと、いつの間にか年だけとってしまうよ、
ということなんでしょう。
鬱陶しい天気の中、雨で外出の機会が減り、
抱えている問題や仕事のことを思いあぐねています。
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| 近況報告でも | 20:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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奨学金

ふとした縁からここ数年、HIV感染者のグループに関わっています。
今年も新学期が始まるのに合わせて、
エイズ孤児への奨学金支援に立ち会いました。
エイズ孤児と言っても、今回支援した15人の内、
実際にHIVに感染している子供は一人だけです。
両親、または父親か母親をエイズで亡くし、
祖父母に育てられていたり、今回お寺に預けられている子もいました。
タイ政府が、感染者に対して、無料で抗ウィルス剤を出すようになり、
感染者の健康状態は、数年前に比べ良くなっています。
また、広報活動が浸透する中で、新規感染者も横ばいか微増です。
なぜ微増かというと、最近は感染の低年齢化が進んでいるからです。
タイでも日本と同じように若者の性に対する意識が変化し、
HIVの感染経路の知識や情報を持っていても、
他人事として予防を怠ってしまうようです。

2002年から奨学金の支援に関わってきたので、
当時小学生だった子供たちもすっかり成長しました。
前期、後期にそれぞれ10人から15人に奨学金を渡します。
予算に限りがあるので、数名の子供は継続ですが、
反対に前期はもらえても、後期はもらえない子供が出てきます。
奨学金は、日本の支援者からの寄付で賄ってきましたが、
感染者の人たちが、牛を飼育し、生まれた子牛を売却し、
そのお金を奨学金に回してきました。
どうすれば、自分たちで奨学金を確保できるかを考えた結果です。
しかし、近年は牛の価格が大幅に下がっており、
必ずしもこの方法が成功しているという訳ではなく、
日本人の方からの寄付金も大いに助かっています。

当日の私の任務は子供たちの写真を撮ることです。
基本的には、感染者グループの人たちが自分たちで、
奨学生を決め、連絡をし、そのフォローを行っています。
私はその奨学金支援活動に立ち会い、記録し、
日本の支援者に報告をしています。

P1040801.jpg

保護者の人や大きな子供たちが、
書類に必要な項目を書き込んでいきます。
名前、住所、両親の有無、同居人、職業、平均月収などです。
祖父母と同居しており、仕事は日雇いの農作業や裁縫の仕事で、
月収500バーツなどという、書き込みもあります。
それ以外に新学期に何に奨学金を使うかという書類もあります。
今では子供たち一人当たり、半期に1,500Bを支援しています。
実際、教科書代、制服、靴、カバン、ジャージなどで、
軽く1,500Bは越えてします。
授業が始まると、通学費、日々の小遣いや昼食費がかかります。

P1040839.jpg

感染者グループの事務局スタッフが、
子供一人一人に奨学金を手渡していきます。
彼女が保護者の前であいさつをしていました。
「このお金で子供を学校へ通わせる全てを賄うことはできませんが、
少しでも保護者の負担を和らげること、また、お互いに大変でしょうが、
できることで助け合っていきたいと思います。」

このところの物価上昇にともない、お年寄り、感染者の人たちも
暮らしにくくなってきています。
それでも子供や孫の教育に関心をもち、毎日、彼らを育てています。
子供たちの成長とそれを取り巻く大人たちの幸せを願っています。
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近所で結婚式

2軒隣の家の息子さんの結婚式が近所でありました。
我が家にも招待状が来ていたいのですが、
そういった近所付き合いは連れ合いに任せているので、
前夜から料理作りの手伝いにかり出されていました。
どんなものを作っているのか覗きに行くと、

P1040748.jpg

生肉のラープという料理でした。
血が生々しいですが、これを香辛料などと一緒に和えます。
当然食べないかと勧められましたが、遠慮しておきました。
やっぱりこれを見るとちょっと引いてしまいます。

P1040745.jpg

当日は、新郎の家から新婦の家への行進で始まりました。
私は家の中でテレビを見ていたのですが、賑やかな行列に誘われ
カメラを持って見に出かけました。
新婦の家には簡単には入れず、
即席の門を突破しなければなりません。

P1040753.jpg

二人の女性が鎖で行く手を遮っていますが、
ここでお金(ご祝儀?チップ?)を渡して通してもらいます。
私の時はこんなことはしませんでしたが、
わりと伝統的なものだそうです。

新郎新婦が揃うと、お互いの両親が向かい合って、
結納金を手渡し、その場で中身を見ていました。
金のネックレス、指輪、そして現金、お札の束でした。
その後、木綿の糸で二人の手首を繋いで、儀式が始まりました。
両親をはじめ、親戚や近所の人たちが、
お祝いの言葉を述べながら、
二人の手首に木綿の糸を巻いていきます。

P1040759.jpg

結婚後、新郎は長男ですが、新婦の家に入ります。
と言っても、歩いて3分しか離れていない隣の路地です。
ちなみに新婦のお父さんは、子供たちを学校に送ってもらっている
ワゴン車の運転手さんです。

結婚式の後は、飲めや歌えの宴会が続いていました。
特に新婚旅行なんかは無いようです。
とにかく、おめでとうさんです。
これからも、たまに近所で会うと思いますが、
お二人とも仲良くしてください。
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酔っぱらい

市内のレストランで友人と夕食をとっていると、
久々に酔っぱらいらしい酔っぱらいを見かけました。
どうも常連さんのようで、そのテーブルの周りには
ウェイトレスも集まっていました。

私たちが食べ始めた頃には
すでに一人はテーブルに頭をつけて寝込んでいました。
もう一人の人もかなり酔っぱらっているようで、
ウェイトレスさんの手を触ったり、何か話しかけています。
適当に酔っぱらいの相手をしながら、
自分用にウィスキーを水で割って飲んだり、
ジュースを注文して飲んでいるウェイトレスさんもいて、
みんなちゃっかり飲物や料理にたかっていました。

その酔っぱらいのおじさんは動きがコミカルで、
店の子達からは、ミスター・ビーンと呼ばれていました。
そのテーブルにパン売りの青年が来ました。
ずっとテーブルで寝ていたおじさんの方が、
寝ぼけ眼で、そのパンがのったお盆(トレー)を持つと、
全部、自分たちのテーブルの上にひっくり返しました。
一袋20バーツぐらいのパンですが、まとめて買い取ったのです。
向かいのテーブルから、そのパンをぶちまける瞬間を見ていた
私と友人は大爆笑でした。
全部で500バーツぐらいはあったかな。
その後、ウェイトレスさんがビニール袋に
自分の好きなのを入れて、しっかりキープしていました。
酔っぱらいのおじさん二人もご機嫌のようです。

あんな酔っぱらいなら害はないなと、
食事中、ずっと笑わせてもらいました。
これから、あの店に行くのに、
また会えるかと楽しみが一つ増えました。
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| あれこれ思う | 16:06 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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